人の身体は神の神殿

生き甲斐の心理学

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私の愛読書

 

富士山奥庭のコケモモ:

 

 

 

 

私が若い頃から今日まで愛読している本を紹介させていただきます

専門書を除き私の本棚には約2,000冊ありますが、一冊一冊が

私を育ててくれた生命のようで、愛しい感じの本ばかりです。

不思議な体験なのですが

2005年8月15日の終戦記念日は私に大きな感動を与えました。

これを契機に、何故か愛読書についての想いを書いてみたくなりました。

 

(1)ニカイア信条講解<キリスト教の精髄>:関川泰寛著:教文館:

古代キリスト教、この言葉は深い響きを持ちます。キリストが十字架で

命を引き取ったのが西暦30年とします。ローマ皇帝ネロの迫害等を経過して

西暦325年の第1回の公会議がローマ皇帝の命令で召集され、そこで

初めて体系的な信仰箇条が認定されました。古代キリスト教徒が命を賭けて

信じた信仰箇条とは、どんな内容なのか、ライオンに食べられても捨てない信仰内

容とは、どんなものだったのか、興味は尽きません。

その信仰内容の歴史について書いた本です。

専門的には<古代教会の信仰告白:渡辺信夫著:新教出版社>が名作ですが

この関川先生の本はローマ・カトリツク、プロテスタント、いづれも伝統的な

キリスト教に共通の信仰箇条<ニケア・コンスタンチノーブル信条>の制定までの

歴史を詳細に書いてくださつています。

自分が命をかけて信じている信仰箇条が数百年をかけて形成されるまでの思想的、

宗教的、政治思想的、歴史的な背景のもとに書かれた非常に優れた本です。

新約聖書は数百年をかけて誕生しますが、その本については次回ご紹介します。

(以上)

 

参考情報:<1世紀の使徒信条>文責:植村高雄

イエズス・キリストが西暦30年(33年?)磔刑を受けた後、12使徒はどのように生き、死に、また、当時の人々はどの程度の教えを受けて信徒となり殉教する程の信仰を持ち死んでいったのでしょう?313年のミラノ勅令でローマ帝国はキリスト教を公認しました。325年には<ニケア・コンスタンチノーブル信条>が制定され今日に至っています。

さて西暦66年から70年にかけての第1次ユダヤ戦争でエルサレムは完全に破壊されます。現代はキリスト教といいますが、当時はまだキリスト教とは言わず<ユダヤ教ナザレ派>でした。ユダヤ戦争後、ユダヤ教とユダヤ教ナザレ派は徐々に、それぞれに信条が明確化され、別の宗教へと明確化されつつ育っていきました。

さてここで皇帝ネロの時代、ローマの競技場では沢山の信徒が大衆の娯楽の対象として殉教しています。この時代・1世紀の信徒たちはどんな信条教育を受けて、あれほどの信仰に生きる事が出来たか、少し思索してみましょう。新約聖書もいまだ存在せず、今日の信条や神学もなく、1世紀の信徒は何故にあのような信仰に生きることができたのでしょうか? 関川泰寛著<ニカイア信条講解:教文館>キリスト教の精髄は素晴らしい書物ですがその中から代表的な二つの信条を選別しました。この二つを思索の対象にして下さい。

(1)<口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われます>

これは簡単な言葉ですが、本質をついた信条の一つです。ロマ書:10-9に出てくる有名な言葉でもあります:キリスト死後最初に生まれた文書はパウロの最初の書簡<テサロニケの信徒への手紙1:西暦50年頃>。このロマ書は西暦57-58年の冬の頃書かれたもの)

(2)或る程度完備した信条は115年ローマ競技場でライオンに食べられたアンチィオケアの司教イグナチィオス書簡文書からの信条をここでは採用します。下記の書簡はローマへの移送中各地の信徒に送った手紙の一つ。

<イエス・キリストはダビデのすえでマリアより真に生まれ、食べ飲み、ポンテオ・ピラトのもとで真に迫害を受け、天上のもの地下のものの面前で真に十字架につけられ、死して、死者のうちより真に蘇らされたのです。そしてイエス・キリストを蘇らせたもうた御父は、イエス・キリストによって唯一つの真の生命に通うものとして、信じるわれわれをも同じ様に蘇らせてくださるのです>

                                                          (以上)